日本精機株式会社|80周年特設サイト
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NIPPON SEIKI 80th LOGO

80th ANNIVERSARY
SPECIAL SITE

安心と感動に満ちた世界と未来のために

2025年12月24日
日本精機は創業80周年を迎えます
INFORMATION

2025.4.1
80周年特設ページを開設しました

01|80th ANNIVERSARY|GREETING|ごあいさつ

1945年戦後長岡の地に誕生した
日本精機は創業80周年を迎えます。

ここまで共にあゆみ、
支えてくださった全ての方々へ
心より感謝申し上げます。

これまでも、そしてこれからも
製品やサービスを通じて、

安心と感動に満ちた
世界と未来をつくってまいります。

02|80th ANNIVERSARY|ANNIVERSARY LOGO|記念ロゴマーク

NIPPON SEIKI 80th LOGO

80周年を祝うシンボルとして、ロゴデザインを社内公募し、計67作品の中から社員投票で決定しました。
本ロゴは、当社が製造する自動車メーターを中心に、現在のロゴやコーポレートカラー・緑を活かして当社らしさを表すとともに、周年を記念して「80th」と「ANNIVERSARY」というデザインを強調したものです。
ロゴの奥行き感には、当社がこれまでもこれからも駆け抜けていくようにという願いを込めています。

03|80th ANNIVERSARY|MESSAGE|メッセージ

この度、日本精機は創業80周年という大きな節目を迎えることができました。これまで弊社を支えてくださった従業員とそのご家族、取引先様、地域の皆様など関係するステークホルダーの皆様に深く感謝申し上げます。激変する環境の下、企業が永きにわたり営々と存続し続けるのは本当に大変な事だと心より感じています。自然災害や経済変動にも屈せず雇用を守り、成長を持続できたのは、弊社を支える素晴らしい方々がいたからに他なりません。

この先100周年、150周年と永続させることが私たちの使命です。CASEの大変革、地政学的リスクや部品供給リスクなど様々な方向から突風が吹いてきますが、重要なのはどの方向からの風にも耐えられる強い根を四方に早く伸ばすことだと考えます。

私たちはこれまで製品やソフトウエアをつくる強い「ものづくり力」を大きな幹として育ててきました。社会のニーズに応える製品開発はもちろんのこと、これまでの「ものづくり力」に満足せず、新しい領域の製品やサービスビジネスに自信と勇気をもってチャレンジすることで根を広げ、日本精機グループを大樹に育ててまいりますので、これからも変わらぬご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
2025年4月

代表取締役社長|佐藤浩一

04|80th ANNIVERSARY|HISTORY|日本精機の歴史

終戦間もない長岡市
1930s1940s

終戦間もない長岡市

挑戦のはじまり

終戦間もない1945年12月、材料不足の中でも「技術を磨けばいい製品が生み出せる」という意志のもと、株式会社日本機械製作所の精密機械部として従業員5名で創業。翌1946年、新潟県・長岡の地から「世界を翔ける日本の代表企業となる」との気概を社名に込め、日本精機株式会社を設立しました。

スピードメーターの指度調整作業
1940s1950s

スピードメーターの指度調整作業

メーターとの出会い

創業当初はネジや歯車等の製造を行いながら、より付加価値の高いものづくりを目指し完成品メーターを開発。ガスメーター等の修理事業で培った技術と知識をもとに製品を磨きました。 積み重ねた受注実績は信頼へとつながり、その後爆発的なブームを巻き起こすホンダ・スーパーカブに採用されたことで、メーター事業が大きく成長しました。

当時受注した四輪メーター
1950s1960s

当時受注した四輪メーター

高度経済成長期における発展

オート三輪、二輪車からスタートしたメーター事業は、更に四輪車へ採用が拡大。日本の自動車市場の発展に伴い、事業が大きく成長しました。また、メーター上に速度や走行距離だけでなく燃料残量等の表示も導入され始めたことから、燃料液位等のセンサー開発も開始。現在にわたり様々な用途のセンサーを開発しています。

当時のLAオフィスの外観
1960s1970s

当時のLAオフィスの外観

海外進出による事業拡大

1972年、アメリカのロサンゼルスに初の海外子会社を設立しました。ドル・ショックなど世界経済は厳しい情勢下であったものの、新しい局面を迎えつつあるアメリカでの挑戦で得られた経験は、常に変化し続ける世界経済の中を突き進む、「チャレンジ精神」の原点になりました。

上場初日の様子
1970s1980s

上場初日

上場による飛躍

徐々に海外進出を推し進めながら実績を積み、アメリカ・イギリスにて海外工場を操業した勢いを絶やすことなく、1989年に東証二部に上場しました。当時上場を希望する企業は多く、時間との競争の中で勝ち取った上場はその後の事業拡大を加速させ、さらなる飛躍の燃料となりました。

HUD表示イメージ
1980s1990s

HUD表示イメージ

最新技術(HUD)への挑戦

1980年代より自動車業界で最新技術として注目されるHUD。開発に取り組むものの、受注獲得には至りませんでした。社長の強い想いから断念することなく続けた開発は1990年代に実を結び、OEM向けとして自社初の量産成功につながりました。その後も続く技術への挑戦が、HUDを現在の中核事業へと成長させています。

震災時の製造ライン
1990s2000s

震災時の製造ライン

震災からの復旧

2004年10月に発生した新潟県中越地震により、日本精機グループは大きな被害を被りました。一時的に正常な生産が出来ない状況となりましたが、お客様を始め、社内外多くの方々のご支援により、早期復旧を果たせました。また、この復旧を通じてグループ間連携の重要性を再認識し、結束を強める機会となりました。

ポーランド工場の外観
2000s2010s

ポーランド工場の外観

グローバル競争力の強化

日本経済のグローバル化が加速した2000年代以降、変動する経済に追従すべく海外での生産体制を構築し、事業拡大に取り組みました。2019年にはポーランドにHUDの工場を設立し、欧州域内での供給体制を充実させることにより、今後も成長が見込まれるHUD事業のさらなる競争力強化を図っています。

「CO2Lamp」(左)と「LumieHUD」(右)
2010s2020s

「CO2Lamp」(左)と「LumieHUD」(右)

新たな価値の創造

近年では、コロナ禍に開発した「二酸化炭素濃度測定器」をはじめ、HUD認知度向上の想いから開発した「簡易後付けHUD」等、BtoC向けの製品開発にも取り組んでいます。既存事業の拡大のみならず、新規事業により新たな価値を創造すべく、日本精機グループは挑戦を続けています。

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